2008年02月17日

ピカソにはどう見えていたのか?

「次は結論です」なんつって、もう横道にそれます・・・^^;

「りんごの赤さ」ひとつとってみたって、「赤さ」加減は人によって千差万別。
言葉で「赤だ」とは共通しても、本当にその人に見えている「赤」が、自分の見えている「赤」と同じ赤か?と突き詰めて考えれば、それは断言できなくなってしまいますよ、ね。

映画が泣けるワケでもそうでした。
同じ映画を見ているのに、ストーリにすすり泣く人もいれば、その音楽に触発されて泣く人もいれば、同じ映画を同じ場所で同じ気持ちで見ているのに泣かない人だっている。

りんごの色そのものが、自分と無関係にそこに厳然と「ある」のではなく、
泣ける映画というものが、自分の感情とは無関係にそこに「ある」のでもない

それらは自分が認識し、心で感じ取ってはじめて、「赤」になり、「泣けるストーリ」として結実します。

・・・ということは、ですよ?

人によって「映画」は泣ける映画にもなれば、全然泣けないストーリにもなる。
極端なことを言えば、りんごが、その人によっては赤くは見えない・・・いや、そりゃ本人には「赤」と意識されているんだけど、実はその人は色弱者で、赤とオレンジを識別できなかったりすれば、赤=オレンジ・・・そういう色に見えるってことも、アリですよね(Kissyは実際にそういう人を知っています)。

だから、
「だれの目にもこのリンゴは自分が感じているのと同じ赤だ」とは言えないし
「だれが見たってこの映画は自分が泣いたのと同じように泣ける」とも、とっても言い切れるものじゃあありません。

さてさて・・・それなら・・・

道を歩いていてそこに落ちていた丸い石ころ・・・それ、だれの目にも丸く見えるんでしょうか?それを「だれが見ても絶対丸く見える」と言い切れるでしょうか・・・?

「見る人が丸いといったから丸なんであって、丸と楕円の区別のつかない人がいたとして、その人がそれを丸だと言ったら・・・?」(区別がつかない=能力がない、ということではないです)

そう考えたら、色や印象だけでなく、モノのカタチだって、自分が見えている通りにほかの人すべてが同じように見えていると信じて疑わないというのは・・・ちょっと考える余地がありそうです。

そこで、ピカソ。

Kissyは絵画のことにはまったく知識がありません。
けれども、ピカソがどんな絵を描いたか、くらいは知っています。
およそ普通の人にはそうは見えないだろう、というような構図の絵や、人の姿を描いて、世界中にインパクトを与えた画家ですよ、ね。

ところで・・・それらの絵、どうなんでしょう?
ピカソ自身にも、そんな風な構図に見えていたわけでも、人が牛や獣の姿のように見えたわけでもないけれども、「表現の一手法として」そういう風に描いた・・・のでしょうか?

ひょっとしたら、そうではなくて、ピカソの目には、あれらの絵に描かれているような構図や姿のとおりに映っていたのでは・・・?それを否定できるでしょうか・・・?

(イヤ、ピカソ自身がどこかで、「私の目にもあんな風には映っているはずがない」と言っているのなら、これは完全にKissyの間違った空想ですけれども、ネ^^;)




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Posted by kissy(岸本圭史) at 12:15│Comments(4)そのリンゴは赤いのか?
この記事へのコメント
そこまで行くと飛んでますね。

ピカソの絵はあれはあれで真実です。そのよう見えたのではなくそのように描きたかったというのが真実です。

難しいので簡単に言うので分らないかもしれませんが…。
Kissyさんが自画像を描きたいと思って大きな鏡の前に立ったとしましょう。ピカソもそうしたらしいですね。

描いているうちに彼は考えたのです。これでは不完全だ!何故なら私の前面しか鏡に映っていない。これを描いても私を描いた事にはならい。

又ピカソは考えました。ひねりを加えよう…そうピカソは考えたのです。例えば上半身と下半身を捻れば背中と前面の足と両方が描く事が出来ると思ったのです。しかしまだピカソの思う描き方には程遠かったのでピカソの絵はそこから進化して次々と技法が生まれてピカソの絵は作られたのです。捻り方も方向を考えたり2方向にしたり3方向で捻ってみたりしてピカソの絵は出来ています。

その技法が分らないとピカソの絵の真髄は分らないと言って良いのかもしれませんが私には多分、分らないと思います。今は亡き池田満寿夫氏などはそのピカソを愛してやまなかった画家の一人だと思います。

こんな感じですがどうですか?なかなか文章を書くのにも苦労しましたが分かって戴けたら幸いです。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2008年02月17日 12:31
んー。。答えが見えると思ったのですがぁぃぅぅ。。

つまり、認識するには、その認識している分母も認識しなきゃいけないってことでしょうか?

うちの子も、「みかんを書いてみー」といってもみかんは書けません。みかんを見せてもみかんは書けません。
みかんを書いて見せてやって、初めて書けました。
円すら書けません。
円がみかんではないからです(きっと)。
でも、うちの子が書いたのはみかんではありません。それは、私が書いたモノです。

ピカソが、何を見ていたのか。なんで捻ったのか。皆目素人には検討もつきませんが、リンゴが赤いわけではないというメッセージなのかもしれませんね。(勝手な妄想ですので、無視してください(?_?))
Posted by あいざわ at 2008年02月17日 15:46
ふじのおやまのヒデさん、ありがとうございます。
ピカソの描き方の話は、私も何度か聞いたことがあります。
「私には絶対見えるはずのない顔の裏側」を、彼(ピカソ)が、「表現」として描いたのか、それとも私には見えないものが彼に見えていたのか・・・
Posted by 沼津のkissy at 2008年02月17日 16:06
あいざわさん、期待を裏切ってスンマセン(^^;;;)
次です!次はホントに結論のほうへ行きますので、ネ。

そぉいえば私、幼心にお子さんと同じような経験をした記憶があります。小学校1年か2年のころ、写生大会で近くの神社へ行ったのですが、実物の神社を見ても絵が描けなかった思い出が・・・そしてその次の日、上級生の絵を真似たら、その神社の絵がかけたんです・・・「見える」ことと「見えて捉えられる」こととは違う・・・そんな表現をすれば、僕の思うところが少しは表現できているかなぁ・・・?と思います^^
Posted by 沼津のkissy at 2008年02月17日 16:09
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