2008年01月03日

そのリンゴは赤くない!?

前回「色はどこにある?」って話で終わっていましたが、私が私なりに考える答え、結論から先に言っちゃいましょう・・・

色は「そこにある」のでも「自分の内にある」のでもなく、「感じ取って創造するもの」だ、と私は思っています。

どうしてKissyがそう思うのか?を今回は書いてみよう、と思います。

夜、部屋の明かりをつけてコタツの上にリンゴを1個置いたとします・・・赤いですよね?赤く見えますよね?
では想像してみてください。部屋の明かりを全部消して、つい今しがたリンゴがあったはずの場所へ目を向けてみてください。真っ暗で何も見えないかもしれませんが、とにかく目を凝らしてみてみてください・・・赤いですか?・・・暗ければ暗いほど、そのリンゴは赤いと思えないんじゃあないでしょうか?どんなに目を凝らして見ても、うす黒い色やこげ茶色のような色にしか見えないのでは・・・?

おんなじように、昼間はまばゆいばかりの緑色に見える木々の葉も、夜暗くなれば色がわからなくなる。富士山の真っ白な雪も、夜には黒く見えます・・・光が当たらないと、色はわからないんですよ、ね。

このことを引き合いに出して、ニュートンは「色とは光の副産物である」というようなことを「光学」という書物の中で論証しました。要するにリンゴが赤く見えたり、木の葉が緑に見えるのは、そこに光が当たり、反射する光線の加減で赤くなったり緑になったりするんだ、というんですね。だから当然、光が当たらなければ反射光がないので色は出てこない。

・・・フムフムなるほど・・・ニュートンのお話をそのまんま信じるとこういう結論になりますよね。
「色は、光の当たる場所に存在する」

けれども、天邪鬼なKissy、この話を聞いたときにこんなことを考えました。コレ読んでいるみなさんもやって見てください。

少しまぶしいけれど、部屋の明かりをつけてその明かり(蛍光灯でも白熱灯でもなんでもいいです)を数秒、直視してください。
その後、部屋の明かりを全部消して、目を閉じてみて・・・閉じたまま「まぶたの裏側」を見てみてください。
・・・ね、緑色とも黄色ともつかないようなボーっとした色の光が、見えるでしょ?

さて、目を閉じて部屋の明かりを全部消した状態・・・そこに「光」は当たっていません。それなのに私には確かに緑色のような色が見えています。
色が「光の当たる場所に存在する」のなら、真っ暗な部屋で目を閉じた状態で、色を見ることはできないハズ・・・それなのに私には見えるんですよね、ということは・・・色が「光の当たる場所に存在する」んじゃあない、ということになります。

それなら・・・脳生理学か生物学なのかナンなのかわかりませんが・・・色というのは「人間が脳で感じるもの」なんじゃない?つまり色は自分の外側の世界にあるんじゃなくて、「自分の内にある」ということにならない?

確かに、光に当たって見える色も、まぶたの内側に見える色も、「すべて脳が感知することで認識するのだから、色は人間の脳が感じ取るもの・・・つまり自分の中にある」と言えそうです。
Kissy自身も、はじめはそう考えていました・・・けれども・・・これではダメなんですよね。なにがダメって、つまり、「色はすべて脳が感じることであり、色とは何かといわれたら、脳内で生成される感覚のことだ」と言ってしまったら、色を別のものに置き換えてすべてのことを説明できてしまいます。

「色」が「形」に変わってもしかり、「味」も「触感」も・・・果ては「愛情」までも・・・上記の説明で説明できちゃうんです。「愛情とはすべて脳が感じることであり、愛情とは何かといわれたら、脳内で生成される感覚のことだ」

・・・そんなつまらない話ってアリ?何でもかんでも自分が「感じること」だで済ませちゃうわけ!?

「色っていうのはね、そこに赤く見えていて、あるように見えるけど、実はそれ、赤くもなんともないんだよ。赤いと思っているのは君の脳がそう感知しているからなんだね」

「愛って言うのは、そこにあるように思えるけど、実はそれ、愛でもなんでもないんだよ。愛を感じるといっているのは、君の脳がそういう風に感知しているから、君がそう思うんだね」

「遠い島の大きな木が落雷で倒れたときにした音っていうのは、音がしたように思えるけど、実はそれ、音なんてしていないんだよ。音というのは、君の脳がそう感知したときに初めて音として聞こえるんだから、キミに聞こえなかった音は音がなったとは言わないんだね」

・・・そんな風に、色とは自分の内で感じ取るものだ、と言い切ってしまうと、そのとたんにこの世界が無味乾燥・殺伐とした荒野のように思えてきてしまう・・・だから、そんな風に「色はどこにある?自分の中、脳の中にある」なんて物知り顔っぽくは決して認めたくない!・・・それじゃあ色ってナンなのか・・・?グルグルグルグル・・・・

そんなときに、ゲーテという人の「色彩論」という著作を解説していたある本の言葉に、私は大きなインスピレーションを受けました。
「色とは、神が与えたもうた、自然界と人間の感覚とが織り成すハーモニーである」

・・・「神が与えたもうた」かどうかは別にして、この「ハーモニー」という言葉に「!!!」と来ました。そしてその一瞬のインスピレーションを紡ぐようにたどって、色々な過程を通り、私自身の冒頭の結論に達したのです。

色は「そこにある」のでも「自分の内にある」のでもなく、「感じ取って創造するもの」だと思う


さてさて、とっても長くなってしまったので、今回はここでおしまい。次の機会には、Kissyがこう思うようになった経緯や、そう結論付けたことで人生が変わったこと、などを書ければいいなあ、と思っています。



同じカテゴリー(そのリンゴは赤いのか?)の記事
 「だから・・・」の続き・・・ (2008-03-22 01:25)
 世界はそれを愛と呼んでいいのか ~2~ (2008-03-21 20:15)
 世界はそれを愛と呼んでイイのか?~1~ (2008-02-21 21:10)
 今度こそ本当に結論、です^^ (2008-02-17 20:09)
 ピカソにはどう見えていたのか? (2008-02-17 12:15)
 映画が泣けるワケ (2008-02-16 20:11)

Posted by kissy(岸本圭史) at 11:05│Comments(2)そのリンゴは赤いのか?
この記事へのコメント
kissyさん、面白い話題、ありがとうございます。
私も過去の記事の中に、これに似た話を載せています。

私の言い方では、ゲーテが言っていることとよく似ているのですが(なぜかというと、おそらく彼も唯物論的弁証法、ヘーゲルの流れを認識していると思いますので)、「色も音も匂いも、人間の知覚、五感のすべてが、人とモノとの関係性の中にある」という言葉になります。

ちょっと難しい言い方で恐縮です。

少し簡単に言えば、たとえば、ユリの花があったとして、そのユリの花の色や匂いは、そのユリの花そのものがもっているものではない、ということです。
ユリの花や匂いは、ユリの花と人間の花、ではない鼻(ヾ(´▽`;)ゝ)や目との相関作用によって生じる、もっと言えばそれがものの存在を示す、という考え方です。

これを突き詰めると、人というのは、やはり人と人の間にあるという、ようやく「人間」という言葉の意味が理解できるような気がしています。

少し小難しい話になって恐縮です。
kissyさんの話は楽しいですね。
もっとこういったお話を、よかったらまたどうぞ。
では。
Posted by かっちゃんかっちゃん at 2008年01月03日 13:31
かっちゃんさん、コメントありがとうございます。
けど・・・<(゚o゚;)>どうして、そう「ズバッ」っと私の次のお話を言い当てちゃうんですかぁ(^^;;;;;;)?
おかげで、次のネタを練り直しです(^^)

それにしても、ヘーゲル・唯物論的弁証法なんてキーワードが出てくるとは・・・かっちゃんさんの博識には驚きです!というか「人とモノ」「関係性」なんて概念を引っ張り出してくるとは・・・かっちゃんさん、素人じゃありませんね( ̄ー ̄*)ニヤリッ
Posted by kissykissy at 2008年01月03日 14:21
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
そのリンゴは赤くない!?
    コメント(2)