2009年05月28日

晴れと褻:根付く ということ

Kissyは中学生の頃、高校生の頃、大学にいる頃、社会人になった頃・・・人生の節目節目で、ことごとく「音楽をあきらめろ」と親に言われていました。音楽なんぞに熱をあげてもロクなことにはならない、と。

中学の頃は、何も反論が出来なかった
高校の頃は、単に反発から逆ギレしただけだった
大学の頃は、ナニを言われようと関係ねえ!だった

社会人になった頃、初めてある想いが沸いてきた。

プロになるとか、これを仕事にするとか、そういう次元の話じゃないんだ。
生きている限り、何があっても音楽はやめない。

その時にこうも思った。
生きてれば誰だって息はするし、ご飯を食べる。ご飯が食べられなくなって、息が出来なくなったら、もう生きていられないのと同じで、僕は音楽ができなくなったら、生きていられないのと全く同じだ。音楽の出来ない人生は、生きながら死んでいるのと同じだ、と。

高校の時には部活の延長線上で、週に一度くらい
大学の頃はサークル活動の延長線上で、ほぼ毎日
社会人になりたてのころも、仕事の時間以外は、すべて音楽漬け
今は、月に何度鍵盤の前に座るか?年に何度人前に立つか?・・・そんなペースだけれど、若かった頃より想いは深く、細々とだけれどずっと続けていく気持ちが強くなっている。

昨年、ゴミ拾いをきっかけに、自分の住む街のことを考え始め、自分の住むところと、自分の周りにいる親しい人のことを考え始めた。今と、そして未来を。

はじめは徹底的にゴミ拾いすることだった。
それは、月に2回から始まって、次第に毎週となり、日課にった時期もあった。
1年たって、今は月に数回ゴミ拾いをするだけのペースに戻っている。けれど・・・
1年たって変わった事がある。

1年前は、毎月2回のゴミ拾いは、結構気合が必要なイベントだった。
1年後の今は、ゴミ拾いは「日常」になっている。

今は、朝ゴハンを食べるように、35年以上ピアノを弾き続けているのと同じように、「暮らし」の中に組み込まれた「普段の行い」となっている。

僕がNPOで実現したかった事はただひとつ。街のため、近しい大切な人のため、そしてそれは究極的に自分の為に取り組む事を、「一大イベント」に仕立て上げるのではなく、「日々の暮らし」の中の「普段の行い」として位置づける事だった。

ひと言で集約すれば、「根付く」、ということなのかも知れない。

普段とは違う、派手な事を行う「晴れの日」
普段の暮らしの、凡庸な繰返しの「褻の日」

僕にとってゴミ拾いは、「褻の日」の繰返しであるべきだ。だから、ムリをして頑張って続けられなくなるようなイベントにはしたくない。そう1年間言い続けてきた。
他の人のことは分からないけれども・・・少なくとも僕の中では、「ゴミを拾う」ということと、その意識は日常の中に根付いている。少なくとも僕の中では、ゴミ拾いをする事をNPOの活動として仰々しく行う、そういう時代はもう通り過ぎている。

さあ、次は何を日々の暮らしの中へ根付かせようか?
さて、何を根付かせれば、今日よりも明日、今よりも未来が、より良い人生を送れる社会になるか?


同じカテゴリー(晴れと褻)の記事
 晴れと褻~正常と異常はどこが違う?~ (2009-06-03 19:51)
 ハレとケ:日々の暮らしが辛いから・・・ (2009-05-24 17:08)
 新シリーズ「晴れ」と「褻」 (2009-05-17 20:46)

Posted by kissy(岸本圭史) at 07:06│Comments(2)晴れと褻
この記事へのコメント
NOLIFE NOMUSICなんてどうですか・・・
さぞかしストイックな事でしょうね。
Posted by ふじいろっく at 2009年05月29日 00:02
>ふじいろっくさん^^
か、かっこえ~・・・けど、ボクはそんなストイックにはなれないかなあ・・^^;;?
Posted by kissy at 2009年05月29日 07:19
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
晴れと褻:根付く ということ
    コメント(2)