2009年05月24日
ハレとケ:日々の暮らしが辛いから・・・
こういう解釈の仕方で良いのかどうか、それさえも、もううろ覚えなので、全く根拠はないといっておいたほうが良いかもしれませんけれども・・・「晴れ」「褻」という言葉と概念に対して、いくつかある解釈のひとつとして、自分でこんな風に捉えてもいます。
「晴れ」と「褻」は、日本の古~~い生活習慣や風土から生まれたものだと・・・
ハレ=非日常で、きれいな着物を着飾り、普段は行かない場所へ普段はやらないことをやりにいく
ケ=日常で、ごく普通の衣服をまとい、普段どおりの場所で普段どおりのことを繰り返す
畑を耕し、田んぼに水をやり、農耕で暮らすことを基本としていた日本の生活習慣。普段は土にまみれ、泥のなかに手を入れて朝から晩まで土色の風景の中で過ごす。着るものは汚れや作業の負担に強いもの。
口にする食料は、蓄えの中から少しずつ消費する、質素な食事。現代のように備蓄が潤沢にあるわけじゃないから、日々の食事は最低限のものしか食べられなかっただろう・・・そんな風に、今の世の中からは考えられないような時代・・・今日を生き抜いて明日死なずに済むように暮らすことさえ難しかった頃は、きっとそういった毎日を繰り返し繰り返し過ごしていくことは、それだけでは辛く苦しいだけだったに違いないと思います。
そんな、「毎日の、生きるのに精一杯」の繰り返しから、一時だけ離れて、華やかな色に着飾り、気持ちを切り替えて、贅沢をする・・・そんな、年に数回あるかないか?の時には、天気が良くて色鮮やかな風景・色彩の中で過ごしたい・・・その頃の僕たちのご先祖様は、そんな風に思ったんじゃないかな?と・・・勝手にそう解釈しています。
「ハレ」が天気の「晴れ」の語源になっているのも、そういう事なんじゃないかな~?と勝手に想像していますが・・・^^;;
ひとつ、大学のときだったか、「ハレ」と「ケ」のことで印象深い解説を聞いたことがありました。
「晴れ」=非日常・「褻」=日常と、別のものとして区別されているが、これらは別々のものと意識されているわけじゃない。「褻」が日常=通常で、「晴れ」は非日常=特別な日=普段じゃない日、と別次元のものと解釈されがちだが、「褻」は「晴れ」があってこそ日常たりえるし、「晴れ」は「褻」があってこそ非日常足りえる。晴れの日は、普段の褻から浮世離れした世界へ移る特別な時だけれども、それは再び繰り返される「褻」=辛く苦しい毎日・・・を受け入れ、乗り越えるために作られた「別次元」だと、ある大学教授が解説してくれたのです。
Kissyはそれまで「晴れ」「褻」という考え方を、「日々の暮らしや生活の中の、全く異なる次元を言い表している、別のもの」というふうに、なんとなく捉えていましたが、この説明にハッとして、あらためて考えるようになりました。
普段の「褻」・・・圧倒的な割合で繰り返される、日々の暮らし・・・それがあるからこそ、普段ではない「晴れ」が生まれる。そして非日常の世界を現す「晴れ」は、その次に来る凡庸な「褻」の日々へ向かうための活力源として位置づけられる・・・そんな風に思うと、日本の風土や歴史、生活習慣というものへの興味とともに「晴れ」「褻」という考え方を、さらにさらに色々考えてみたくなるのでした。
う~~む・・・なんだか今回のテーマは壮大すぎて、毎回まとまりがない・・・ま、ひとり言だから、いっか^^;;?
「晴れ」と「褻」は、日本の古~~い生活習慣や風土から生まれたものだと・・・
ハレ=非日常で、きれいな着物を着飾り、普段は行かない場所へ普段はやらないことをやりにいく
ケ=日常で、ごく普通の衣服をまとい、普段どおりの場所で普段どおりのことを繰り返す
畑を耕し、田んぼに水をやり、農耕で暮らすことを基本としていた日本の生活習慣。普段は土にまみれ、泥のなかに手を入れて朝から晩まで土色の風景の中で過ごす。着るものは汚れや作業の負担に強いもの。
口にする食料は、蓄えの中から少しずつ消費する、質素な食事。現代のように備蓄が潤沢にあるわけじゃないから、日々の食事は最低限のものしか食べられなかっただろう・・・そんな風に、今の世の中からは考えられないような時代・・・今日を生き抜いて明日死なずに済むように暮らすことさえ難しかった頃は、きっとそういった毎日を繰り返し繰り返し過ごしていくことは、それだけでは辛く苦しいだけだったに違いないと思います。
そんな、「毎日の、生きるのに精一杯」の繰り返しから、一時だけ離れて、華やかな色に着飾り、気持ちを切り替えて、贅沢をする・・・そんな、年に数回あるかないか?の時には、天気が良くて色鮮やかな風景・色彩の中で過ごしたい・・・その頃の僕たちのご先祖様は、そんな風に思ったんじゃないかな?と・・・勝手にそう解釈しています。
「ハレ」が天気の「晴れ」の語源になっているのも、そういう事なんじゃないかな~?と勝手に想像していますが・・・^^;;
ひとつ、大学のときだったか、「ハレ」と「ケ」のことで印象深い解説を聞いたことがありました。
「晴れ」=非日常・「褻」=日常と、別のものとして区別されているが、これらは別々のものと意識されているわけじゃない。「褻」が日常=通常で、「晴れ」は非日常=特別な日=普段じゃない日、と別次元のものと解釈されがちだが、「褻」は「晴れ」があってこそ日常たりえるし、「晴れ」は「褻」があってこそ非日常足りえる。晴れの日は、普段の褻から浮世離れした世界へ移る特別な時だけれども、それは再び繰り返される「褻」=辛く苦しい毎日・・・を受け入れ、乗り越えるために作られた「別次元」だと、ある大学教授が解説してくれたのです。
Kissyはそれまで「晴れ」「褻」という考え方を、「日々の暮らしや生活の中の、全く異なる次元を言い表している、別のもの」というふうに、なんとなく捉えていましたが、この説明にハッとして、あらためて考えるようになりました。
普段の「褻」・・・圧倒的な割合で繰り返される、日々の暮らし・・・それがあるからこそ、普段ではない「晴れ」が生まれる。そして非日常の世界を現す「晴れ」は、その次に来る凡庸な「褻」の日々へ向かうための活力源として位置づけられる・・・そんな風に思うと、日本の風土や歴史、生活習慣というものへの興味とともに「晴れ」「褻」という考え方を、さらにさらに色々考えてみたくなるのでした。
う~~む・・・なんだか今回のテーマは壮大すぎて、毎回まとまりがない・・・ま、ひとり言だから、いっか^^;;?
Posted by kissy(岸本圭史) at 17:08│Comments(0)
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