2008年06月20日
情報とは何か?
「情報とは何か?」については、いろいろな説明があります。
情報とは、人の判断・意思を左右・決定させるすべての事象である。(Wikipedia)
ある特定の目的について、適切な判断を下したり、行動の意志決定をするために役立つ資料や知識。(大辞林)
ことがら(知識)」で興味を抱いたり、判断を促したり、行動を起こさせたりする、そうした「ことがら(知識)
データを構造化したものが情報
Kissy自身、いろいろ調べて「なるほど!」と思えるような説明と定義を探しましたが、今のところ、他人の説明で納得できるものは全く皆無です。
そこで、Kissy自身が考えて、自分なりに定義したことを・・・
情報とは、受け取った本人が価値があると感じることのできるデータのことでである。
Kissy自身はこう定義して情報という言葉を使い、仕事に利用しています。
ところでデータとは何か。
物事を、ある基準に基づいて正確に表現したと認められる文章や数値・音・画像などのこと。
昨日の沼津の最高気温は28度だった
明日の沼津の予想最高気温は30度を超える可能性が高い
伊豆市の人口は約4万人である。
スイカは一般的にみかんよりも大きさが大きい
日本中で、ガラスの風鈴を欲しいと思っている人は、約500万人いる
もみじの葉っぱは秋になると赤く色づく
熟れて食べごろなりんごの色は赤い
ウェストが85センチ以上の男性は、成人病にかかる確率が高い
これらは、事実として正しいかどうか?には大いに異論がありますが、とりあえず、「調べもせずに言っているでたらめ」ではないという点で、どれも「何らかの基準に基づいて正確に記述したもの」であるといえますね。だから、Kissyはこれらの文章やその意味する内容のことを「データ」と呼んでいます。
でも、これらの「データ」は、すべての人にとって、すべて有用な事柄ではありませんね。
コンビニの店長さんや、レジャー施設の関係者の方にとって今日・明日の気温は非常に気になる(=知ることに非常に価値がある)データですが、熟れごろのリンゴが赤いかどうかなんていうのは、どーでもいー話。
けれども、Kissyにとっては、「リンゴが赤いのかどうか?」ということは、非常に大切な事柄で、どちらかというと気温がどうのこうの、という方がどーでもいーこと。
このように、同じ事実を同じ基準で捉えて記述したとしても、受け取る人にとっては全く価値がない場合もあれば、非常に重要な意味を持つ場合もあります。
「事実をある基準で正確にとらえて表現した文章や数値」が、意味のある(=それを知る価値のある)ものになったときに初めて、それを情報と呼ぶのだ、とKissyは考えています。
だから、同じ事を同じように記述したとしても、それを教えてもらっても何も意味のない人にとっては、それらの記述(=データ)は情報でも何でもない、ただのデータに過ぎませんが、別の人にとっては、それを知ることで大きな価値を感じ取ることができる、という場合には、その人にとっては「情報」となる、と考えているわけです、ね。
・・・ん?そんな「言葉の定義」をくどくどと説明して、なんの価値があるのか?って?・・・・
情報化社会:
巷に情報があふれ、それが社会を形成していく、そういう状態と社会のことを情報化社会と呼びますね。で、現代の人々は情報に振り回され、何が正しくて、何が間違いなのか、多すぎる情報の前で思考が停止してしまっている、と批評する方がいますが・・・
そこにきちんとクギを刺しておきたいと思って、この記事を書いているんですよ、ね。
巷にあふれているのは、単なる事実の記述や事実の記述から想定される予測や結果だけであって・・・それらを全部とりこんで覚えたり、利用しようとしたら、そりゃ確かに思考が停止してしまいますが・・・
それは「受け取っても意味のないもの」までごちゃまぜにして、「情報」として消化しようとするからだと、Kissyは確信を持って考えているのです。
巷に溢れる単なる事実の記述(=データ)から、自分にとって価値のあるものを取捨選択して、必要なものだけを「情報」として位置づけて自分の意思決定や行動規範の元とする・・・そういうスタンスで、情報を受け取ったり、あるいは発信したりすることが、真の情報化社会だと思うんですよ、ね。
そして・・・このKissyの定義では「情報」というモノは、すっごくハードルの高い、それだけに価値の高いものになると思うんですよね。
だって、どんなに良質なデータを発信しても、どんなに旨い儲け話を持ちかけても、そしてどんなに高尚な説法を説いても・・・受け取る方の人が「おもしろくもなんともない」「聞くだけの価値がなかった」と思えば、それは単なるデータで、情報でも何でもない、ましてや有用でも何でもない、ということになっちゃうからです。
逆に、適切な人(相手)に対して、その人(相手)が欲しい!と思っているデータやお話を提供できたとしたら、それは単なるお説教や、単なるヨタ話だったとしても、前述の高尚な説教や旨い儲け話なんかよりも、はるかに価値の高い有用な情報になりえる、と考えてもいいんじゃないかな?と思います。
情報とは、人の判断・意思を左右・決定させるすべての事象である。(Wikipedia)
ある特定の目的について、適切な判断を下したり、行動の意志決定をするために役立つ資料や知識。(大辞林)
ことがら(知識)」で興味を抱いたり、判断を促したり、行動を起こさせたりする、そうした「ことがら(知識)
データを構造化したものが情報
Kissy自身、いろいろ調べて「なるほど!」と思えるような説明と定義を探しましたが、今のところ、他人の説明で納得できるものは全く皆無です。
そこで、Kissy自身が考えて、自分なりに定義したことを・・・
情報とは、受け取った本人が価値があると感じることのできるデータのことでである。
Kissy自身はこう定義して情報という言葉を使い、仕事に利用しています。
ところでデータとは何か。
物事を、ある基準に基づいて正確に表現したと認められる文章や数値・音・画像などのこと。
昨日の沼津の最高気温は28度だった
明日の沼津の予想最高気温は30度を超える可能性が高い
伊豆市の人口は約4万人である。
スイカは一般的にみかんよりも大きさが大きい
日本中で、ガラスの風鈴を欲しいと思っている人は、約500万人いる
もみじの葉っぱは秋になると赤く色づく
熟れて食べごろなりんごの色は赤い
ウェストが85センチ以上の男性は、成人病にかかる確率が高い
これらは、事実として正しいかどうか?には大いに異論がありますが、とりあえず、「調べもせずに言っているでたらめ」ではないという点で、どれも「何らかの基準に基づいて正確に記述したもの」であるといえますね。だから、Kissyはこれらの文章やその意味する内容のことを「データ」と呼んでいます。
でも、これらの「データ」は、すべての人にとって、すべて有用な事柄ではありませんね。
コンビニの店長さんや、レジャー施設の関係者の方にとって今日・明日の気温は非常に気になる(=知ることに非常に価値がある)データですが、熟れごろのリンゴが赤いかどうかなんていうのは、どーでもいー話。
けれども、Kissyにとっては、「リンゴが赤いのかどうか?」ということは、非常に大切な事柄で、どちらかというと気温がどうのこうの、という方がどーでもいーこと。
このように、同じ事実を同じ基準で捉えて記述したとしても、受け取る人にとっては全く価値がない場合もあれば、非常に重要な意味を持つ場合もあります。
「事実をある基準で正確にとらえて表現した文章や数値」が、意味のある(=それを知る価値のある)ものになったときに初めて、それを情報と呼ぶのだ、とKissyは考えています。
だから、同じ事を同じように記述したとしても、それを教えてもらっても何も意味のない人にとっては、それらの記述(=データ)は情報でも何でもない、ただのデータに過ぎませんが、別の人にとっては、それを知ることで大きな価値を感じ取ることができる、という場合には、その人にとっては「情報」となる、と考えているわけです、ね。
・・・ん?そんな「言葉の定義」をくどくどと説明して、なんの価値があるのか?って?・・・・
情報化社会:
巷に情報があふれ、それが社会を形成していく、そういう状態と社会のことを情報化社会と呼びますね。で、現代の人々は情報に振り回され、何が正しくて、何が間違いなのか、多すぎる情報の前で思考が停止してしまっている、と批評する方がいますが・・・
そこにきちんとクギを刺しておきたいと思って、この記事を書いているんですよ、ね。
巷にあふれているのは、単なる事実の記述や事実の記述から想定される予測や結果だけであって・・・それらを全部とりこんで覚えたり、利用しようとしたら、そりゃ確かに思考が停止してしまいますが・・・
それは「受け取っても意味のないもの」までごちゃまぜにして、「情報」として消化しようとするからだと、Kissyは確信を持って考えているのです。
巷に溢れる単なる事実の記述(=データ)から、自分にとって価値のあるものを取捨選択して、必要なものだけを「情報」として位置づけて自分の意思決定や行動規範の元とする・・・そういうスタンスで、情報を受け取ったり、あるいは発信したりすることが、真の情報化社会だと思うんですよ、ね。
そして・・・このKissyの定義では「情報」というモノは、すっごくハードルの高い、それだけに価値の高いものになると思うんですよね。
だって、どんなに良質なデータを発信しても、どんなに旨い儲け話を持ちかけても、そしてどんなに高尚な説法を説いても・・・受け取る方の人が「おもしろくもなんともない」「聞くだけの価値がなかった」と思えば、それは単なるデータで、情報でも何でもない、ましてや有用でも何でもない、ということになっちゃうからです。
逆に、適切な人(相手)に対して、その人(相手)が欲しい!と思っているデータやお話を提供できたとしたら、それは単なるお説教や、単なるヨタ話だったとしても、前述の高尚な説教や旨い儲け話なんかよりも、はるかに価値の高い有用な情報になりえる、と考えてもいいんじゃないかな?と思います。
Posted by kissy(岸本圭史) at 08:45│Comments(2)
│ITC
この記事へのコメント
情報とは、受け取った本人が価値があると感じることのできるデータ・・
なるほど!! 確かに!!(^-^)
「kissy定義」というのか、kissyさんの「言葉」の区別の仕方や使い方は
わかりやすいし、スッキリしますね~!!
毎回納得しちゃいます♪(^-^)
なるほど!! 確かに!!(^-^)
「kissy定義」というのか、kissyさんの「言葉」の区別の仕方や使い方は
わかりやすいし、スッキリしますね~!!
毎回納得しちゃいます♪(^-^)
Posted by じゅりん
at 2008年06月20日 23:42

じゅりんさん、おひさしぶりで~す(^0^)
こんなクドクドした記事を読んでくださって、ありがとう~~!!
専門的には、皆さん同じ事を言っているんですけど、ね^^
専門用語や難しい言葉での説明なので、きっと難しいんだろうとおもって、ボクなりの表現で書いてみました^^
こんなクドクドした記事を読んでくださって、ありがとう~~!!
専門的には、皆さん同じ事を言っているんですけど、ね^^
専門用語や難しい言葉での説明なので、きっと難しいんだろうとおもって、ボクなりの表現で書いてみました^^
Posted by kissy
at 2008年06月20日 23:57
