2008年09月22日

豊かさのカタチ

電化製品や自動車、便利な社会サービスや公共機関に囲まれて、世界一の長寿国として長生きして暮らせるようになっている今の日本で暮らしているサラリーマンと・・・
電気もガスも水道もなくて、医療も発達していないから長生きもできなかったし、身分制度でガチガチに固められていた江戸時代に暮らしていた農民と・・・はたしてどちらが豊かで、文化的な暮らしなのか・・・?


大学時代の恩師に、こんな問い掛けをされて「よかったら社会に出ても、テーマの一つとして考え続けてごらん?」と言われたことがあります。


携帯電話の出現によって、電話すれば「何も考えなくても必ず相手が出る」という便利さを得たけれど、その代りに、好きな女の子の家へ電話をかけて「オヤジが出たらどうすべ?」というようなドキドキ感はもうなくなってしまった。


ネットショッピングの爆発的な普及で、全世界の食べ物を「お取り寄せ」できるようになった代わりに、ボクらは「保存加工されたワサビ」を「美味しい」と感じるまで味覚を失ってしまった


レコードがCDになり、CDがMDになり、MP3になり、どんどん音質が均一化してきて・・・いつでも誰でも気軽に音楽を楽しめるようになって、その代りに僕らは「楽器を使って音を出して、想いを相手に伝える」という素晴らしさを、「音が悪くて聞きづらい」と感じるようになってしまった。


インスタントラーメンは体に悪いんだよね、と言いながら「せめて」と思って野菜を切ったり卵を割ったりして「サッポロ一番みそらーめん」をつくっていた時代・・・あれからボクたちは、どんどん「インスタント食品」の便利さを知り、今はコンビニ弁当やカップめんが、「ちゃんとした食事」になりえてしまう時代になった


自動車は歩いて感じられる景色の流れをわからなくしてしまったし


道路やビルは、雲の白さと空の青さを隠してしまった


電話とメールは時間をかけて想いを伝える「あたたかさ」を捨て去ってしまった気がするし


ファミリーレストランは、家で味わえるお惣菜の数を激減させた気がする


結果、ボクの家の周りにあった小川が消え、香貫山から「けもの道」がなくなり、「天高く馬肥ゆる秋」がどんなものだったかを思い出せなくなり、「ゼンマイの煮物」を口にすることはなくなった・・・


テレビや映画は、何も演じない「間」(ま)を許さなくなってしまって、静かなストーリがなくなり


今や一流のエンターテイナーやミュージシャンまで、「音がなくなる瞬間」「絵が止まる瞬間」を恐れている・・・それはきっと、ボクたちがそう望んだからだろう・・・


そんな風に考えると、今という時代が果して豊かで幸せだと言っていいのだろうか?とさえ考えてしまいます。


300年前、飢饉におびえ、お侍さんにおびえ、生きていくのに必死だった時代・・・けれども、あの時代に花開いた文化や芸術は、今もなお受け継がれていることを考えると・・・はたしてその頃の「庶民」は、ただ苦しく、不便で、不毛なだけの不幸な時代だったと言えるのか・・・?


「簡単・手軽に暮らせる」わけではなかったから「楽にモノを考えずに生きられる」時代でなかった事は確かだけれども・・・生きるために必死ではあっても、その分、いろんな事に感動する事が出来、生き抜くためのバイタリティからさまざまな文化や生活習慣を生み出すことができたという点で、非常に豊かで人間らしい暮らしのできた幸せな時代だったと言えるんじゃないか?


だから「現代(いま)がダメだ」と言っているわけじゃないんです。昔に比べて、今の方が、確実にいろいろな意味で、「便利」になり「長生きできる」ようになり、「いろいろなモノが手に入る」時代になった。それを「昔の方がよかったんだから、今ある便利なモノをすべて捨ててしまえ」とは思わないんです。思わないんですけれども・・・


忘れてはいけない、とも思うんですよね。


昔の人は、「あお」という色を幾つもの種類に分けて区別ができていたし、お米はどんなふうなのが「美味しい」のか知っていただろうし、風の音、波の音、川の音、朝の色、昼の色、夕暮れの色・・・ボクたちには区別することのできない色々な「あるがままの姿」をたくさん知っていたことを・・・


そういえば、先日紹介した「カート・ヴォネガット」が最後の著書の最後の方で、こんな事を言っていた。


100年前は本を読んで想像した。「女の子が飼っていた犬が死んだ」・・・それを読んだだけで、その女の子がどれほど犬をかわいがり、そしてどれほど悲しんだことか・・・それを想像して涙するのが当たり前だった。


今は、「想像」という人間の心の働きは、必要なくなった。完璧なエンターテイメントが用意され、現実と区別がつかない描写を提供することで、「どれだけ悲しくて」「どれだけかわいいか」を感じさせる場面を再現できるからだ・・・こうして人間は「想像」という人間にしか与えられない能力を自ら捨て去ってしまった・・・


「豊かさ」「しあわせ」って・・・なんだろう・・・?



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Posted by kissy(岸本圭史) at 08:28│Comments(4)日記
この記事へのコメント
う~ん。
長年生きてきたから(笑)
どの時代のこともわかる私ですが。
そうですね。
でも便利さや手軽さを得てしまった後では戻れないですからね。
こんな中でも、想像力や創造力を失わないPUREな心が大切なのでしょうね。
Posted by sweetparsley at 2008年09月23日 08:52
sweetparsleyさん、
そうなんですよね。手に入れた便利さを手放すのは至難の業。だけど、そこに色々な「想像」があって初めて、「便利」さを「便利だ」と実感できると思うんです^^
Posted by kissykissy at 2008年09月23日 10:37
昔読んだ、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる灰色の男を思い出しました。

これだけ便利になり、昔自分の体でやっていた事を、機械がやってくれる。
効率的になって、時間が余ってゆとりの時間が増える・・・という未来予想だったのですが、返って時間が足りなくなったのは何故?

モモに出てくる世界の住民は、「良い暮らし」のために必死で時間を倹約し、追い立てられるようにせかせか生きて、子ども達も遊びを奪われて、「将来のための勉強」に必死になっていました。

何か今の世界とにているなぁ

将来のためって言うけれど、“今”の積み重ねが将来じゃないのかな? (=^..^=)ミャー
Posted by よしお at 2008年09月23日 18:29
よしおさん、ありがとうございます^^
「効率的になったはずなのに、時間が足りなくなった」・・・ホントに現実はそのとおりですね。

なんだか、「遠い未来の目的」のために「今準備している」・・・生まれてからずっと、最後まで「準備」をしているような生き方に、いつの間になっちゃったんでしょうね?(←実はコレ、ボク自身は答えが出ました。いずれ再びこの事について書こうと思います)

ボクもよしおさんの言うとおり、「今」の積み重ねが将来だと思います。今を一生懸命生きられなければ、その先の未来はない、そう思います^^。
Posted by kissykissy at 2008年09月23日 20:17
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