2008年09月12日
正常と異常
こういうタイトルの付け方は、取り上げる事例のことを考えると、本来適切じゃないかもしれませんが・・・言いたい事の核心がこういうことなので・・・
今日、かねてからこのブログでも書いていた「障害者支援施設での就業支援訓練のパソコン講習」という講習を行ってきました。8回シリーズの第1回目で、Kissy自身も非常に緊張と不安を抱えて臨みました。おかげさまで、なんとか無事に第1回の講習は終えることができましたが・・・
終えてみて、非常に強く印象に残ったこと。
今日、障害者として就業支援訓練に臨んでいる方々は、大多数が「この人たちの、どこが?」と、正直、首をかしげたくなるほど、普通の社会人の方と何ら変わりなく見えたこと。
会話も、相手の方を「障害者だ」と意識していたのは初めの数十分で、途中からは、Kissy自身、通常の初心者PC講習をしているのと全く変わらないという錯覚に陥りましたし・・・
説明して操作していただく際の吸収力も、驚くほど速い方もいるし・・・
で、今日の講習後、施設の所長さんに話を伺ってみました。「彼らは、ボクの目には通常の健常者(という言葉、ボクは大嫌いなのですが)と何ら変わりなく見えるんですが・・・」
所長さんいわく
彼らは・・・というより、「障害者」とくくられている方たちの多くは、もともと、普通に学校を出て、普通に会社勤めをしていた方が多いんです。・・・それが、社会の中・学校の中で、いろいろなプレッシャーを受け、それに向き合おうとしすぎるがあまり、「こころ」がオーバーフローしてしまって、精神的に不安定になったり、引きこもってしまったために、「軽度発達障害」として健常者と区分されているのです。
もちろん、彼らには、見た目からは分からない「心」の病や、ちょっとした体の不調があることは事実なので、そういう事をきちんと理解して、「この子には過度のプレッシャーを与えると情緒不安定になるから気をつけなければ」「彼は、同じ事を伝えるにも、明るく前向きな表現で伝えることで上手くできるから、そういう風に話をすべきだ」というふうに、それぞれ注意深くケアしなければならないですけれども、ね・・・
そんな話を聞きながら、内心、Kissyはこんな事を考えていました。
その人その人に応じて、特徴をよく踏まえて個別にケアをしなければならない・・・それは、「健常者」として「障害を持っていない」とされている人でも、何ら変わりはないんだよなあ・・・
そんなボクの顔色を察したのか、所長さんはさらに続けました。
だから、私たち健常者は彼らを「障害を持っている・ハンデキャップを背負っている人」だと理解してはいけないんです。「精神的に、少しだけケアをしてあげなければいけない」・・・そういう特徴を持っているだけで、私たちと何ら変わらない、と理解すべきなんですよ。
普通の会社や職場でもいるでしょ?「怒りっぽいから、イヤな報告をする時には顔色をうかがって話さなきゃならない課長さん」とか・・・「人当たりがスゴくいいから、何頼んでも引き受けてくれるけど、許容量を超えるととたんにイライラしだして投げ出してしまうOLさんとか」・・・
確かにそのとおり(^^;;)
そう考えて、突き詰めていくと・・・線引きができなくなってしまうんです。「ボクはごく普通の健常者で、彼らは普通と違う特殊な人だ」という線引きが・・・
ず~~~ッと前、ある方に言われたことがあります。「正常な人と異常な人はどこが違うのか?」・・・心や体に何かトラブルを抱えている人を「異常だ」というのなら、花粉症の人は異常者だし、年老いて足腰が弱くなった年配の方を異常者だと言わなければならなくなる。五体満足で病気をしたり体や心にトラブルを起こした事のない人を「正常者」だというのなら、本当の正常者なんて、どこにいるのか?
自分(Kissy)が、普段接していて目にする人と違うから、「普通じゃない人だ」というのは・・・あまりに物事を考えていなさすぎる気がします。そのことを、改めて身をもって感じた一日でした。
そして・・・もう一つ今日気づいたこと・・・むしろこちらの方が、はるかに大きい収穫だったかもしれません。
僕らが「障害者」「心や体に異常を抱えている」と、健常者と区別している彼らは、僕ら健常者よりもはるかにたくさん、何度も「ありがとう」という言葉を使っています。そして、人の目を見て話します。
便利な言葉ですが、そこには個人の顔は見えません。
僕も、社会福祉協議会のボランティアに登録しています。その中でいろんな人と出会った時に、障がい者はひとりもいませんでした。ひとりひとり名前を持った人なんですね。
関係ないかもしれませんが・・・
最近介護保険の導入で、介護のボランティアが出来なくなりましたが、単純に職を奪うからボランティアさんはいりませんというのは、なんだかおかしいような気もします (=^..^=)ミャー
「障がい者」と書くように。
「子供」と、書かないで「子ども」と書くように。
と、講和で教えられました。
最近は、がいに、もっと難しい漢字が使われ始めていますね。
ハンデキャップは、障害ではない。
その人の、個性のひとつだと思ってほしいと、
だれかがラジオで言っていたのが印象的です。
本当に、そう思います。

ありがとうございます。そうなんです。彼らは「障害者」なのではなくて、「佐々木さん」であり「遠藤さん」であり「井出くん」なんですよね。
それから、ボクもおかしい気がします。ボランティアを否定するのって・・・
たんたんさん、ありがとうございます。
恥ずかしながら、ボク知りませんでした。「障害者」という表記が問題になっていたこと。
で、あわてて調べました。なぜ「障害者」と表記するのが良くなくて「障がい者」と書くのか・・・
それはそれで、意味のあることだと思うのですが・・・ボクなりにこのことはよく考えてみたいことなので・・・今のところは「障害者」と表記しようと思います。もう少し自分で咀嚼して考えてみようと思います。
・・・あ”あ”(^^;;)・・また考えなきゃならんことが増えた・・・^^;;

私はそれこそ単純に世界中の誰でも何でもお喋りしたいから、英会話を習い、手話を習い、そしていつのまにか色々なボランティア活動をしてきました。
そこで感じたことは、コミュニケーションさえとれたら、何も両者を隔てるものは無いってことでした。
今はもちろん外国の方達…聾唖者の方達、障害者の方達とも交流していて、むしろ悩みを聞いてもらうことさえありますよ。
これからもそうやって生きていくと思います。
また、教室にも数名障害を持った生徒を抱えていますから、偏見など持ってるヒマはないのです。
あ~すみません、くどくど書いてしまいました。
とにかく「接すること」が壁をなくすのだと思っています。
こんなコメントしか書けなくてすみません。
心の澄んだ人達と触れ合うと様々な頂き物がありますよね。
良い1日を過ごされたのですね。(^-^)

ボクのは「取り組んでいる」んではなくて、色んなところで頼まれごとをしては断れなくて引き受けて・・・なんてやってるうちに、たまたま色々な方と出会うようになっただけで・・・^^;;・・・
けど、やっぱり「コミュニケーション」を取るという事はとても大切なことだなあ、と痛切に感じた経験でした^^
じゅりんさん、
ご無沙汰していました(^0^)!!
ほんと、パソコンの技術は多少こちらから提供しましたけれども、それ以上におおきなモノを、逆に僕がいただいちゃいました^^