2008年08月09日
広島・長崎に思う
8月6日と9日が何の日か、知ってはいたけれど・・・昨年までの40年間、何か特別な事をしたことはありませんでした。
今日も、特別な事を考えていたわけではないのです。「ああ、こないだの6日と、今日は、原爆の日だな」と、朝チラっと思った程度だったのです。けれども・・・たまたま長崎の平和式典のテレビ中継の時間に自宅に戻ったので、何の気なしに見ていて・・・どういうわけか、心が大きく動かされました。
ボクは、戦争を知らない世代だし、身近に被爆者がいるわけでもない。それに、普段「核廃絶」とか「戦争反対」という事に対して、それほど積極的にかかわっているわけでもありません。けれども・・・これまで40年間、それほど特別な思いを抱いたことのないボクが、なぜか今年・・・今日・・・になって、平和式典の意味の重さや、参列されている方々の気持ちのようなものを感じたのです。
そして、長崎市長の一言に、ハッとさせられました。
微力だけれど、無力じゃない。若い世代の方たちは、この合言葉のもとで平和宣言を世界中に届ける活動をしています。
取り組むテーマこそ違いはしますが・・・今、若い世代の方に(できればボクも若い方へ入れてほしい^^;;)・・・じわじわと広がっていること・・・大きく取り上げられることも少ないし、際立って目立つような事もないけれど・・・小さな力が少しずつ集まっているんだなあ・・・そんな事をこの一言から感じました。
だからと言って、ボク自身が何か長崎の核廃絶への呼びかけに対して大きな手助けができるわけじゃありません。むしろ、想いがあっても何をして良いのやら、わからないのが本音。
だからせめて、自分自身で今できる事を少しずつやっていこうと、あらためて思いました。
ボク自身ができることって?
とりあえず、目の前のゴミを拾うこと。
ひとつ拾う事が、「一つ捨てない事」へつながり、
捨てない事が「捨てさせない」ことへつながり、
捨てさせない事が「ゴミを減らすこと」につながり
ゴミを減らす事が「町や僕らの住んでいる土地をきれいにする」事につながり
きれいにする事が「環境を守り、育てていく」事につながる
「一つゴミを拾う」事は、微力かもしれないけれど、決して無力じゃない。
広島・長崎という土地で暮らしている若い人たちが、小さな力をたくさん連ねて、世界的な平和を訴える努力をしているのと同じように。
追記:広島・長崎の平和式典にかかわっている皆さん、核廃絶・世界平和を訴え続けている皆さん、同じ次元で「ゴミ」を語ってしまうことを、どうぞお許しください。「ひとりの力は小さくても、思いを集えば、大きなメッセージを発信することができる」という点で共通している、という事をお伝えしたかったのです。
ちなみに、長崎原爆被害対策Webサイトに、長崎の平和式典などについての記事が掲載されています→原爆被害対策ウェブサイト
広島平和祈念資料館もWebサイトがあります→広島平和記念資料館
広島・長崎の平和宣言にKissyもあらためて、そして謹んで、賛同の意を示させていただきます。