2010年11月15日
無知の知
ギリシャの哲学者ソクラテスが、当時のギリシャで「知恵者」と評価の高かった人物たちとの対話を通して悟ったこと。
私は、私の知識が完全ではないということを自覚している、という点において、彼ら「知恵者」よりも僅かに優れている。「知らない」ということを「自覚する(知る)」ことのほうが、「知っているつもりで実は知らない」ということよりも良い。
そういうことを「無知の知」といいますが・・・
最近いろんなところで、これを曲解して自分に都合のよい言い訳に使う輩が増えてきているように思えてなりません。
無知の知とは、「知らないことを知らないといって何が悪い」というような「知らないことを良しとする」という事とは、まったく次元が異なります。
知らない・分からない・理解できない・・・そういう課題に対して、努力して、努力して、なお努力に努力を重ねて、必死の想いで知ろうとしても、どこまで行っても「わかった!理解できた!完全に知識として吸収できた」などと、うぬぼれるわけには行かない。それでもまだ、自分には「分からない・知らない」ことがあるのだ・・・そう自戒する姿勢をもって、「無知の知」と言うのだと、僕は理解しています。
必死の努力、精も根も尽きるほどの修練を積みもせずに、「分からない」事を「無知の知だ」などと言って逃げようとする・・・それは単なる「努力不足」「怠慢」以外の何者でもないのであって、「知らないことは悪いことじゃない」などと程度の低い言い逃れで許されるハズがない。
成人していない子供ならまだしも・・・もう紛れもなく「大人」と呼ばれる年齢になって、「知らなかった」ということを「恥ずかしい」とも思わず「知らなかったから仕方ないじゃん」と平気で言ってのける厚顔無恥が、とても多くはびこっているような気がして、本当に情けない思いのする今日この頃です。
いえ、自分がそう人を批評できるほど、人格者でも知恵者でも無いことは、自分自身よく自覚して自戒・反省してはいますが・・・
私は、私の知識が完全ではないということを自覚している、という点において、彼ら「知恵者」よりも僅かに優れている。「知らない」ということを「自覚する(知る)」ことのほうが、「知っているつもりで実は知らない」ということよりも良い。
そういうことを「無知の知」といいますが・・・
最近いろんなところで、これを曲解して自分に都合のよい言い訳に使う輩が増えてきているように思えてなりません。
無知の知とは、「知らないことを知らないといって何が悪い」というような「知らないことを良しとする」という事とは、まったく次元が異なります。
知らない・分からない・理解できない・・・そういう課題に対して、努力して、努力して、なお努力に努力を重ねて、必死の想いで知ろうとしても、どこまで行っても「わかった!理解できた!完全に知識として吸収できた」などと、うぬぼれるわけには行かない。それでもまだ、自分には「分からない・知らない」ことがあるのだ・・・そう自戒する姿勢をもって、「無知の知」と言うのだと、僕は理解しています。
必死の努力、精も根も尽きるほどの修練を積みもせずに、「分からない」事を「無知の知だ」などと言って逃げようとする・・・それは単なる「努力不足」「怠慢」以外の何者でもないのであって、「知らないことは悪いことじゃない」などと程度の低い言い逃れで許されるハズがない。
成人していない子供ならまだしも・・・もう紛れもなく「大人」と呼ばれる年齢になって、「知らなかった」ということを「恥ずかしい」とも思わず「知らなかったから仕方ないじゃん」と平気で言ってのける厚顔無恥が、とても多くはびこっているような気がして、本当に情けない思いのする今日この頃です。
いえ、自分がそう人を批評できるほど、人格者でも知恵者でも無いことは、自分自身よく自覚して自戒・反省してはいますが・・・
Posted by kissy(岸本圭史) at 08:15│Comments(0)
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