2009年08月24日
僕にとっての「日常」、僕にとっての「結実」
ご存知の方も多いかもしれませんが、Kissyはピアノを弾きます。バンドでキーボードを弾いたりもします。今は仕事が忙しくて、バンド活動は出来ないけど、ほぼ毎日、家でピアノを弾いています。一時期弾かない時期があったけど、その時期を除いて、Kissyはもう高校生の頃から、ほぼずっと、毎日ピアノを弾いています。
へえ、すごいね
そう言葉をかけてくれる人もいます。
けれども、正直な感覚で言うと、「365日、毎日欠かさずピアノを弾く」というのは、僕にとってはそれほど特別なことでも、スゴい事でも、気合を入れて頑張らなきゃならないことでもないんです。高校の頃から、大学受験の勉強があろうと、今日が卒業式だという日でも、お構いナシに弾きたいだけ弾いていたし、大学に入って一人暮らしをはじめてからは、それこそ一日4~5時間は弾き続けていたので・・・僕にとって「ピアノを弾く」「鍵盤に向かう」という行為は、当たり前のことになってしまっているのです。
毎日ご飯を食べる。のどが渇いたら水を飲む。寝てても起きていても、無意識に呼吸はしている・・・それと同じことになっているのです。ふと思い立ったらピアノを弾く。お風呂上りにはとりあえずピアノ。休みの日に朝ごはんを食べ終えたら、とにかく鍵盤の前に座る・・・。
頑張る必要もなければ、気合を入れる必要もない。もっと言えば「想い」を込める必要すらないのです。ただ、「弾く」。
僕にとって「ピアノを弾く」と言うことは、日常のなんでもない行為のひとつになっているのです。
僕にとっての「日常の当たり前」ということはそういうこと。
ゴミ拾いを「月に一度のイベント」として考えるのは、まだそれを「特別なことだ」と思っているからだ。僕個人的には、正直言ってそういう考えでいます。歩いていてゴミを見つければ、とりあえずしゃがんで拾う。近くのコンビニのゴミ箱まで手で持っていってそこへ捨てる。公園の片隅で友達と話しているときも、目に付いたら、会話しながらゴミは拾う・・・。
僕が、自分のやっていること、取り組んでいることの目標は、どれもこれも、こういう「日常」の中へ取り込むことなんです。
毎日の暮らしの中にピアノを弾くということがしっかり根付いていて、ピアノを弾かない日なんていうのは考えられない・・・それとまったく同じ意味、同じレベルで、毎日、いつでもどこでもゴミを見つけたら拾う、拾わない日があるなんていうのは信じられない・・・そういう風に根付いてこそ、初めて「同じ空の下、同じ気持ちでゴミ拾い」という目標が、日常に根付くのだと思います。
音楽・芸能・街づくり・地域連携・人と人とをつなぐ・・・Kissyにとって、これらは全て、「気合を入れて頑張るべき活動」ではない、そう思っています。「頑張らなきゃできないような活動」は、いつか日常ではなくなり、「特別な遠い存在」になり、いつしか廃れる日が来るけれど・・・
息をするのと、ご飯を食べるのと、家族におはようと言うのと同じように、当たり前に、本当に当たり前にゴミを拾い、街づくりに参加し、人と交流を持つようになったとき、そのときがKissyの「想い」が結実するときだ。それこそが僕の目指す日常だ。
そう、思っています。
追記:こう書いて、Kissyに会った事のない方が読むと、僕がとてもピアノの上手いミュージシャンのようにイメージされるかもしれませんが・・・僕はピアノ下手です。ただ好きなだけで、才能もなければセンスもない。ただ好きで弾いているだけの、オッサンです(苦笑)。
へえ、すごいね
そう言葉をかけてくれる人もいます。
けれども、正直な感覚で言うと、「365日、毎日欠かさずピアノを弾く」というのは、僕にとってはそれほど特別なことでも、スゴい事でも、気合を入れて頑張らなきゃならないことでもないんです。高校の頃から、大学受験の勉強があろうと、今日が卒業式だという日でも、お構いナシに弾きたいだけ弾いていたし、大学に入って一人暮らしをはじめてからは、それこそ一日4~5時間は弾き続けていたので・・・僕にとって「ピアノを弾く」「鍵盤に向かう」という行為は、当たり前のことになってしまっているのです。
毎日ご飯を食べる。のどが渇いたら水を飲む。寝てても起きていても、無意識に呼吸はしている・・・それと同じことになっているのです。ふと思い立ったらピアノを弾く。お風呂上りにはとりあえずピアノ。休みの日に朝ごはんを食べ終えたら、とにかく鍵盤の前に座る・・・。
頑張る必要もなければ、気合を入れる必要もない。もっと言えば「想い」を込める必要すらないのです。ただ、「弾く」。
僕にとって「ピアノを弾く」と言うことは、日常のなんでもない行為のひとつになっているのです。
僕にとっての「日常の当たり前」ということはそういうこと。
ゴミ拾いを「月に一度のイベント」として考えるのは、まだそれを「特別なことだ」と思っているからだ。僕個人的には、正直言ってそういう考えでいます。歩いていてゴミを見つければ、とりあえずしゃがんで拾う。近くのコンビニのゴミ箱まで手で持っていってそこへ捨てる。公園の片隅で友達と話しているときも、目に付いたら、会話しながらゴミは拾う・・・。
僕が、自分のやっていること、取り組んでいることの目標は、どれもこれも、こういう「日常」の中へ取り込むことなんです。
毎日の暮らしの中にピアノを弾くということがしっかり根付いていて、ピアノを弾かない日なんていうのは考えられない・・・それとまったく同じ意味、同じレベルで、毎日、いつでもどこでもゴミを見つけたら拾う、拾わない日があるなんていうのは信じられない・・・そういう風に根付いてこそ、初めて「同じ空の下、同じ気持ちでゴミ拾い」という目標が、日常に根付くのだと思います。
音楽・芸能・街づくり・地域連携・人と人とをつなぐ・・・Kissyにとって、これらは全て、「気合を入れて頑張るべき活動」ではない、そう思っています。「頑張らなきゃできないような活動」は、いつか日常ではなくなり、「特別な遠い存在」になり、いつしか廃れる日が来るけれど・・・
息をするのと、ご飯を食べるのと、家族におはようと言うのと同じように、当たり前に、本当に当たり前にゴミを拾い、街づくりに参加し、人と交流を持つようになったとき、そのときがKissyの「想い」が結実するときだ。それこそが僕の目指す日常だ。
そう、思っています。
追記:こう書いて、Kissyに会った事のない方が読むと、僕がとてもピアノの上手いミュージシャンのようにイメージされるかもしれませんが・・・僕はピアノ下手です。ただ好きなだけで、才能もなければセンスもない。ただ好きで弾いているだけの、オッサンです(苦笑)。
Posted by kissy(岸本圭史) at 21:52│Comments(2)
│日記
この記事へのコメント
自分も同感です。意外に「日常」の定義って本人次第なんですよね。
それとは別に「非日常」っていう言葉も大好きです。ドキドキワクワクするものって、大体「非日常」で、感動を得るものだったりもします。
話がずれましたが、周りが感じる「非日常」が、「日常」に変わるのも本人達の自覚次第なんですよね~。
昨日の夕方に「さやゴト」さんの屋外Tシャツ展示を見てきました。そこにあったコメントで、「さやゴトの季節がやってきましたね。今年も楽しませてもらいます。」というのがありました。これってこのコメントの人の中では、この屋外Tシャツ展示がコンセプトの「ささやかな日常のできゴト」になったんだなと思いました。活動1年でこの成果。素晴らしいです。
それとは別に「非日常」っていう言葉も大好きです。ドキドキワクワクするものって、大体「非日常」で、感動を得るものだったりもします。
話がずれましたが、周りが感じる「非日常」が、「日常」に変わるのも本人達の自覚次第なんですよね~。
昨日の夕方に「さやゴト」さんの屋外Tシャツ展示を見てきました。そこにあったコメントで、「さやゴトの季節がやってきましたね。今年も楽しませてもらいます。」というのがありました。これってこのコメントの人の中では、この屋外Tシャツ展示がコンセプトの「ささやかな日常のできゴト」になったんだなと思いました。活動1年でこの成果。素晴らしいです。
Posted by リーチ at 2009年08月24日 23:13
>リーチ君^^
ありがとうございます
「非日常」・・・僕も好きですよ(^-^)!!
ピアノを弾くって行為も、日常の中で弾くのと、非日常・・・ハレの舞台・・・で弾くのとでは、まったく違う感動がありますもん、ね^^
これからも、日常・非日常、ともに色んな楽しいこと、やっていきたいですね~^^!
ありがとうございます
「非日常」・・・僕も好きですよ(^-^)!!
ピアノを弾くって行為も、日常の中で弾くのと、非日常・・・ハレの舞台・・・で弾くのとでは、まったく違う感動がありますもん、ね^^
これからも、日常・非日常、ともに色んな楽しいこと、やっていきたいですね~^^!
Posted by kissy(岸本圭史)
at 2009年08月25日 08:08
