調和・ハーモニー

kissy(岸本圭史)

2008年01月26日 09:40

しばらく間があいてしまいましたが、やめてしまったわけではありません。
「そのリンゴは赤いのか?」シリーズ

さて、「色はどこにある?」「色ってなんだ?」・・・そんな話で思いついたことを色々と書き連ねてきましたが、学生時代、Kissyが自分なりに考えて出した結論、それは「色は、対象物(リンゴ)が持つ特性と、主体(自分)の中から生まれてくる感覚とが織りなすハーモニーの一つと考えればいいんじゃない?」ということ。

ポイントは「ハーモニー」
ハーモニーって「和音・響き」のことですね。
「ド」、「ミ」、「シ」それぞれ単音だけ・・・これでは単なる単音が3つですが、「ドミソ」と一緒に音を奏でると、そこに和音ならではの響きが生まれます。決して単音だけの響きでは得られることのない「調和」。

和音の響きが、単なる「低音」と「高音」の足し算のみにはならないのと同じように、「リンゴの赤」も、単に「リンの表面ゴに色が付いている」だけ、「自分の脳内で赤という色を認識する」だけでは成り立たないものだ、と思うのです。

そんなこたぁない、という反論をお持ちの方に二つばかり反例を・・・

自分の目で確かめたわけじゃないのですが・・・物理学の実験で、観察の対象になっている対象物を詳しく観察しようと近づけば近づくほど、対象物の状態が変化してしまって、「完全に客観的な対象物の状態」を記録することは不可能なのだそうです・・・量子力学なんちゅう現実離れした世界の話ですが・・・厳密な意味ではそういうことなんだそうです。簡単なたとえで言えば、「対象物(リンゴ)」がどんな色をしているか観察しようとすればするほど、「リンゴの発色する色」はそれを見ている自分の状態やリンゴとの関係で左右される、ということになる。

そしてもう一つ、これも確かめたわけじゃあないのですが・・・生まれながらに盲目の方が手術や治療で視力を回復したとき、回復した直後は色を感じ取ることができないのだそうです。つまり人間が感じ取り認識できる「色」は、脳内だけで先天的に感じ取ることはできないというワケです。何度かいくつもの色を見ないことには色を認識することすらできないのだとか・・・

そんな話を色々読んだり、聞いたりしている傍らで、中学校から続けてきたバンド演奏の練習やライブを通じて「当たり前」だと思っていたある事柄と、この「色」の話がKissyの中で一つのつながりになりました。
自分の演奏が、自分ひとりで成り立つことはあり得ない。一緒にプレイしている他のプレイヤーとの関係・連携、そしてそれを聴いている聴衆との関係があって初めて成り立つ。すべては「単独」のことではなく、「関係性」の中で生まれていく・・・

「モノ」の色と、「自分の感覚(認識)」も、別々のものじゃあなくて、お互いに作用し影響しあって生まれ出てくる「調和・ハーモニー」なんじゃないだろうか?

それが「色ってなんだ?」のKissyなりの結論なんです。

さてさて、そんな風にして、ふとした事から思いついた「色ってなんだ?」・・・
けれども、この考えというかこういう物事のとらえ方をするようになると、単に「色」って話だけにとどまらなくなりますよ、ね。
学生時代から卒業後のしばらくの間、この話が「色や光の話だ」と自分自身で結論付けていたKissy、数年後にここから話が一気に広がるのですが・・・それはまた次の機会に書かせていただきます、ね。

あーでもない、こーでもない私のひとりごとに、最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました(^^)


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