あと2日という言葉

kissy(岸本圭史)

2012年03月09日 08:34

2日後の2012年3月11日がどういう日なのかは、ほぼすべての日本人が分かっていると思います。
もちろん僕も、その日付にどれほどの想いを持って時を過ごす方がいらっしゃるか・・・それは想像に難くありません。

決して忘れてはならない、その日

真摯に、そして静かに、けれども万感の思いとともに迎え、過ごそうという気持ちはみな同じなのだろうとは思います。

けれども、一部の報道人が表す言葉のウラに、とても悲しく情けないモノを感じてしまうのは僕だけでしょうか?

「あの震災の日まであと2日となりました」

テレビで特番を組み、何日も前から告知をし、「検証のために」と言って過酷な映像を事前から何度も放映する。
それはそれで、「映像で伝えるべきもの」というのがあるでしょうから、否定しようとは思いませんが

あと2日であれから1年になります

というような表現で真摯に意思や思いを伝えるのならわかるんです。
けれど、ね・・・

震災の記念まであと2日になりました

って・・・まるでその日を何かのイベントのように扱い、待っているかのような言葉には、どこか裏に「商業主義的な思惑」が見え隠れしてならないのは・・・?

僕が偏屈に考え過ぎなのでしょうか?

誰かが言っていました

言葉は表現となり、想いとなり、行動に表れる
言葉の違い、表現の違いは、イコール想いの違いだ


言葉尻ひとつかもしれないけれど・・・あと2日という言葉に込める想いに、きちんと向き合いたいな、と思った雨の朝でした^^

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