ロボ・ロボ
もう20年近くも前、
「惑星ピスタチオ」という劇団に一時期熱狂的にハマったことがあった。そのピスタチオの舞台のひとつに
「ロボ・ロボ」という演目がある。
当時、そのロボ・ロボのパンフの見開きのページに書かれていた文章に、強烈なインパクトを受けた。あれから20年近くたった今夜、テレビを見たり、ブログ記事を読んだり、色々考え事をしているうちに、数行の文章をを強烈に思い出した。
たしか、こんな感じの内容だ。
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はるか遠い南の無人島に、それはそれは大きな木が立っていた。
あるとき、嵐がやってきて、大きな雷がその木を直撃した。
無人島の真ん中で、その木は雷を受けて、倒れてしまった。
けれども、遠い南の無人島での出来事。その事を知る人は誰もいない。
誰も木の倒れる様子を見ていなかったし、そこに巨木があったことも知らない。
さて・・・
その木が落雷を受けて倒れるときに、鳴り響いたであろうはずの、雷の轟音や巨木が倒れる時のバリバリという音・・・誰にも知られずに誰にも聞かれることのなかったその音・・・その音は鳴ったことになるのだろうか?それとも鳴らなかったことになるのだろうか?
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一ページ目にそう問いかけていたパンフレットのメッセージの意味深さと、劇中、保村大和が叫んだ、「僕は帰る!」というひと言のセリフが、今も僕の記憶の中に鮮明に残っている。
今夜、様々な「社会のひずみ」のようなものを、自分なりに垣間見た気がして、真っ先にこの記憶が蘇った。
誰も知らない場所で、誰も気づかない出来事が起きた・・・その出来事は、「起きた」ことになるのだろうか、それとも「起きなかった」事になるのだろうか?
メジャーなメディアが取り上げることは絶対にない「ネタ」にならない世界の出来事。今日もどこかで、幼い命が理不尽な奪われ方をしている。けれども、報道されないから僕たちは知らない。・・・その命は奪われたことになるのだろうか?それともならないのだろうか・・・?
哲学的な意味での、僕にとっての見解は明確に出ている。けれども・・・問いかけられている問題に対する「答え」は、20年経った今でも、まだ見出せないでいる。
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