たどり着いたもの

kissy(岸本圭史)

2007年12月27日 00:04

年末・・・すこしのゆとりの時間を見つけて、ひとりで酒を呑み、今までのことを自分なりに振り返ってみる。見透かしていたかのように、テレビで昭和~平成の時代を振り返る番組が流されている。

「天皇が死んだぞ!」・・・ツーといえばカーと答えた大学の友人の、朝一番のその電話で俺の昭和は終わり、そして平成が始まった・・・1989年。

「兄貴、大阪が大変なことになってるらしい!」・・・同居していた弟にたたき起こされてテレビで知った、阪神大震災・・・そしてその年、Windows95フィーバーが起こった・・・1995年・・・

そんな年になって、自分の周りの世間が騒ぎ出した「チェーンストア時代」・・・「時代は大量生産・大量販売・大量消費社会になりつつある。如何にして作るか?ではなくて如何にして大量に売るか?の方法論をもっとも効果的に構築したものが次の世代を席巻する」・・・そう叩き込まれて社会人としてのアイデンティティを植えつけられた・・・そしてセブンイレブンが親会社を抜いた・・・

昭和の最後を席巻したタレントが言う。
「雑多な粗悪を通り抜けなければ、本当に良質なものを意識できない」

「雑多な粗悪を垂れ流した」とレッテルを貼られる昭和最後期、そして平成初期・・・
「あの頃、日本が日本としてアイデンティティを持っていた」とあこがれる昭和30年代・・・

俺は30年代を知らず、バブルの最盛期に一番多感な時期を過ごし、社会に出たとたんにそれまでの価値観をすべて否定された・・・この20年間・・・

日本で100本の指に入る成績だった中学時代
過去の栄光がプレッシャーとなり、そしてそれにしがみついて、「転落している」ことに気づかなかった高校時代
「自分はもう何か特別な一部の人間には属していない」と痛感し、落ちるだけ落ちたとたんに、そんな優越感が何も意味を成さないと気づいた大学時代
自信を喪失したまま社会へ出て、自分を自分たらしめているのは、そんな「社会を渡り歩くパスポート=肩書き」ではなく、自分を認めてくれている数人の仲間だと気づいた社会人修行時代

いろいろな人を裏切り、さまざまな人に裏切られ、出会い、別れ、切捨て、切り捨てられ・・・ふと気づいたら、もう「振り返るだけの過去」を持ちうるだけの年齢になっていた・・・2007年。

たどり着いたものは、子供の頃、思い描いていた将来とは程遠い。
たどり着いたものは、今思い描いているあるべき姿とも、はてしなく程遠い。

けれども、幼い頃には思い描けなかった・・・そして、これから思い描いたのでは手遅れなほど・・・手に入れがたいものをたくさん得た、と実感した年でもある、2007年。

たけしが言った「雑多な粗悪の時代」・・・
アイデンティティを確立した後に、苦々しい思いでそれを受け止めた彼らの世代でもなく、
物心がつく前から「雑多な粗悪しか手に入らない」平成生まれの世代でもなく、
「心」を養う過程で、古き良き時代が壊されていくのをこの目で見て、アイデンティティを確立する過程で新人類・バブルの子供・いまどきの若いの・・・そういわれて否定されてきた・・・
団塊の世代でもなければ、団塊ジュニアでもない世代・・・

けど、一番「雑多で粗悪な時代」を潜り抜けてきているけど、「人間が雑多で粗悪なわけじゃない!」
きっと俺と同じ世代のヤツは同じように思っているだろう。

積み上げてきたモノで戦わなければならない年齢に、いやおうなしに突入しはじめた今、たどり着いた今を振り返ると、そこに、小さな、意外な、けれども強く光を放つ花を見つけた気がする。

ホンモノ・・・こいつはホンモノだ、と思えるような・・・

今、Kissyの周りには、「こいつはホンモノだ」と脱帽するような、そんなヤツがゴロゴロ出始めている。
肩書きや、バックボーンや、どーでもいーような流行り廃りの道具なんかひけらかさない、「ピン」で勝負のできるヤツが、ゴロゴロし始めている・・・

さて、これからはそいつらと勝負だ!

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