最近、テレビの報道番組を全然見なくなりました。
理由・・・携わっている人たちがあまりにも不勉強だから。それほど知識のあるわけでもないKissyでも指摘できるような誤字・言葉違い・情報間違いといったミスをたった1時間ちょっとの番組で何度も、そして何日も続けて連発しているから。
最近、官公庁の言う事を全く信じなくなりました。
理由・・・薬害肝炎・年金不払い・社会福祉(特に生活保護)の弱者切り捨て・・・彼らの考える「守るべきもの」は彼ら自身の利得だということが、この年にしてようやく理解できたからです。
夏ごろから、政治家・・・特に第一線で活躍する国政選挙の政治家を全く信用しなくなりました。
理由・・・言う事は潔いのに、やることが全く卑怯と言うか未練がましいというか・・・。そして国民の「心」に対して冷徹だということがわかったから・・・
もう何年もですが、インターネットの向こう側にいる「ヒト」というのを信用していません。
理由・・・顔が見えない。正体を明かさない。いつでも逃げられる場所から出てこようとしない。=(イコール)自ら積極的にコミュニケーションを取ろうとしない。自らリスクを冒しコストをかけて相手に歩み寄ろうとしない相手ばかりだったからです。
そして、去年から今年の春にかけて、議論はするがそれを行動に移さない人。その場ではとても積極的な発言をするのだけれど、いざとなるとすべて受身・・・そういう人ばかりに出会い、少し「世間の人」というものに辟易としていました。
けれども、悪いことばかりじゃあありません。
4月頃から、ラジオでパーソナリティをしている方のあるメッセージを聞いて、「世の中、捨てたもんじゃない」と言う事を感じました。それ以来、仕事で車移動している時には必ずそのラジオ番組を聞くようにしています。
去年まで「うちで飼っていた」と思っていたわんこが、「一緒に暮らす家族」だという事に今年やっと気づきました。そしてその家族に教わりました・・・ひたむきに、ただひたすらに、一途に相手を思う気持ちの、なんと美しいことか、そしてなんと愛おしいことか・・・。
そして最近、ネット・コミュニケーションではなく、仕事上の付き合いでもない、「顔の見える」「損得勘定抜き」の付き合い、という付き合いに出会うことができました。
だから、今、こうしてブログを書いていながらも、ブログ・コミュニケーションよりも、ブログじゃないコミュニケーションを、とても楽しみにしている自分がいます。
ふと気を緩めると、つい安易に信用してしまいそうなテレビや政治やお役人・・・その反対に、ふと気付くと、あっというまに縁遠くなってしまう身近な仲間。
どちらを失いたくないかと言えば、身近な仲間だということは、もう20年も前からわかっていたはずなのに、この歳になっても、なかなか実践できません。けれども、こんな事をひとり考えるときには必ず自分に言い聞かせます。
誰が言ったのかわからないテレビや新聞やネットの情報をうのみにするな。それよりも顔の見える、信頼できる身近な仲間のいう一言を信じよう。
今年は本当に、身近な方からの「ひとこと」が、仕事にプライベートに、とてもありがたく響いた年でした。
これから年末、そして来年・・・私の出会う人たちは、どんな「ひとこと」を私にかけてくれるのでしょう?・・・そんな思いを巡らせると、テレビや政治や役人が信用できない、と嘆くよりも、これからゆく年とくる年がすこし明るく開けるような気がします。
・・・以上、ホントに久しぶりの、純然たるひとり言でした・・・けど一年の総括をするにはまだ早いか!!?