社会の罪・私の悪

kissy(岸本圭史)

2007年08月25日 09:43

マハトマガンジーの「7つの社会的罪」というのがあります。


  1. 理念なき政治

  2. 労働なき富

  3. 良心なき快楽

  4. 人格なき学識

  5. 道徳なき商業

  6. 人間性なき科学

  7. 献身なき信仰

どうでしょう?私(Kissy)はこれをあらためて考え直したとき、今の日本の社会は彼の指摘する7つの社会的罪を、ひとつの例外もなく全て犯している、悪しき国になっている、と思いました。
そうじゃない、と言い切れる方、いらっしゃるでしょうか?たぶんほとんど全ての方が、今の日本をこれらの罪にどっぷりつかって犯している、と思うのでは?
そこまではたぶんこれを読んでいる皆さんと私Kissyとで、意見が一致する方は多いと思いますが、ここから先、いかなる反論を受けても、ひとり言をどうしても言いたくなる。


これら7つの罪を犯している原因は、政治家や官僚の腐敗ではなく、庶民の悪(=つまりは私自身も含めた一般の市民・国民の悪)だ、と。政治が悪い、社会が悪いと論評して、自分が悪いとは言わない、まさに私たち一般の庶民が、最も悪いのだ、と。



自ら反省すべきことはたくさんあります。そして、たぶん30年前、Kissyが小学生だった頃には、上記のようなことなんて、当たり前中の当たり前、だったはず。それが今は、このうちの一つを実践するのでさえ、大変なことです。
そしてこれらは、誰が悪いと、他者へ責任を転嫁できる事柄ではありません。やっていない、できていないのはすべて自分自身が悪い。


そういう意味で、ガンジーの発した「7つの社会的罪」は、結果としては社会の罪ですが、悪いのは社会が悪いのではなく「私(それはこれを書いている私Kissyであり、今これを読んでいるあなたでもあります)」が悪いのだと思います。
そしてそういうスタンスをきちんと自覚した上で生きることが、ここまで荒廃した社会を改善・再生する一番根本の原動力となるのだろうと思います。私も含めてみなさん、一度考え直しませんか?


追記:この投稿は、たぶんに自戒をこめて書いています。恥ずかしながら上記で問いかけている事柄は、Kissy自身、ほとんど全てできていません。だから、社会の罪は、私自身の悪が原因なのだというのが第一義であって、読んでいるあなたも悪いのだ、という主張は第二義です。


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